福岡県では、近世に福岡藩が公認した柳町遊廓があり、小倉藩では、港町の田野浦に遊女屋を置くことを許可した。明治5年(1872)の芸娼妓解放令の際には、福岡県は「速カニ解放」としつつも明治6年(1873)には「娼妓」を「芸者」と言い換え8カ所(福岡・博多・堅粕・芦屋・若松・宰府・湯町・甘木)の貸座敷免許地を指定した。一方、小倉県は完全に解放することとしたが、福岡県へ合併後は明治15年(1882)に田野浦が指定されたのが旧小倉県内では最初の貸座敷免許地となる。製鉄所、軍関連施設、石炭輸出港に隣接する地域に貸座敷免許地が指定され、また石炭輸出等で満州・朝鮮・台湾へ渡航しやすい地理的条件があったためか、「からゆきさん」を多く送り込んだ拠点でもあった。