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京都府

 京都では、江戸・大坂と同様、近世初頭に唯一の公認として島原遊廓ができた。17世紀から18世紀にかけての市中東部を中心とする新地開発に伴い、北野、祇園などに茶屋町が形成され、島原は早くも18世紀前半から長期的な営業不振にあえいだ。18世紀末の寛政改革に際して、新地の4か所に島原からの出稼を名目とする遊女屋営業が免許され、島原は「茶屋年寄」として出稼地からの上前を取得した(差配体制)。差配体制は、天保改革期の一時廃止をはさみ、明治3年まで継続したが、同年の廃止で島原の優位は最終的に解体した。明治3~5年に、京都府は町組を単位とした遊廓統制を採用し、芸娼妓解放後の授産施設として設置された遊所女紅場が、祇園など、いくつかの場所で遊廓地の土地所有・経営主体に成長し、京都固有の遊廓社会が展開していくことになる。 ...続きを読む